|
この夏私は日中学生会議で中国を初めて訪問した。日中学生会議とは今から15年前ある一人の学生によって学生間の民間交流の大切さが考案され発足したものだ。隔年に日本と中国で会議を開催し討論会、学生が企画したシンポジウムを通じて学生間の相互理解を図ることを目的とする。といってもそんなに堅いものではない。顧問には天児 慧教授がいらっしゃるも運営、企画全て学生主体で行う会議は学生のアイデアに任される。よって両国の文化を紹介する文化交流会、地方都市訪問など学生がフランクに交流できる企画が盛り込まれているのだ。私がこの会議への参加を決めたのも真剣に意見討論の準備をしつつも学生ならでは交流企画に全力を注いでいるからだ。ちなみに今会議の文化交流で踊ったヨサコイ踊りは夜練をする気の入れようだった。もちろん討論会の準備にはそれ以上の力を注いでいることを忘れないでいただきたい。
そうした一年間の準備を経ていざ中国へ。
清華大学の学生と討論
まず私達は今回の会議の開催地である北京の清華大学へと向かう。バスがはいれるくらい大きなキャンパスをもつ清華大学。この中国一大きな自慢のキャンパスはアメリカ政府からの賠償金によりアメリカ留学の予備校として創設されたものだ。何でもアメリカ留学を目的としアメリカの最高教育を受けていつかはアメリカを超える中国を創るとか。全員がそう思っているわけではないのだろう。そして私達は大学内にあるホテルに宿泊する。同じキャンパス内にある学生寮とは比べものにならないくらいとてもきれいだ。
次の日から早速清華大学の学生と討論会だ。私の所属する分科会は若者の仕事観。両国が雇用状況、若者の就職観を紹介しあった。日本と異なり若者は仕事を通じて国家にいかに貢献できるかを考えている点が興味深い。しかし分科会で最も印象的だったことはMr.休憩こと張さんの存在。初日、勢いよく自分の名前を黒板で紹介していた彼。さぞかし張り切り者で多くの意見を聞けると期待していたのだが、、なんと分科会中は一言も発せずやっと口を開いたと思ったら出てきたセリフが「よし、休憩しよう」以後彼のあだ名は「Mr.休憩」。
5日間の北京での会議を終え私達は次の開催地である上海の復旦大学へと向かう。北京での日程はなんといってもきつく慌しかった。1時間半かけバスで王府井へいき10分で買い物。そして次のシンポジウムに備えるという強行スケジュール。その慌しさが中国らしくもあったのだが上海ではもう少しゆとりのあるスケジュールであることを期待したい。
上海の復旦大学へ
まず上海の第一印象。空気が北京よりも綺麗であること。北京では空が黒ずんでいるようだったが上海の空は東京に限りなく近い。そんな気候のせいか上海の人はとてもオープンだ。シンポジウムの企画にも素直に賛同しまた文化交流会でものりよくパフォーマンスをしてくれる。そんな底抜けに明るい上海人と打ち解けるのにはそう時間はかからなかった。
今でも復旦大学の学生とはメールのやりとりが続いている。
中国人って?
一言で中国人を言い表すのは容易ではない。だが一つおもしろいエピソードがある。シンポジウム企画をする際のこと。メールで再三シンポジウムの趣旨を説明してあったはずなのに前日になってシンポジウムの内容を変えたいとのこと。それだけいうのならと思いきって中国側にまかせたのだがまだパネリストも決まっていない始末。形式として中国側もシンポジウムを企画したかったようだ。さすが面子の国、中国。
また中国ではトップが存在しその人が一切の権限をもっていた。手下らしき学生をひきつれて何人かの人に命令をしている姿が印象的だった。
もうひとつ上海でクラブにいったときのことをお話したい。中国人って?というタイトルとはかけ離れていると思う方もいるかもしれないがそんなことはない。なぜなら日本人は決して踊らないようなダンスをしていたからだ。それは今クラブで流行っている八の字ダンス。首を8の字に振って異性に求愛するときに使うらしい。まさかそんな恥ずかしいことをやる人はいないだろうっと思いきや隣で激しく頭をふる女性、まさに8の字を描いている。その女性のダンスに吸い付けられるように男性達が集まってきた。
日中学生会議で得たこと
同じアジア圏といっても日本とはどこか違う中国。色彩感覚の異なるビルの装飾、まるで怒鳴っているかのような会話(全員が全員そうであるわけではない)、二車線のところを三車線で走る車、異なるトイレ事情に初めは新鮮味を感じるも次第に嫌気がさすようになってきた。しかし帰国するとそんな中国が懐かしくなっている。一年前から準備をしてきたからこそ良さも悪さもひっくるめて中国を認めることができたのかもしれない。何よりも討論会、文化交流会を通して中国人の素顔に触れることができたことが私と中国の距離を縮めている大きな要因である。
|