海外体験いろいろ
   
アメリカ・ミシガン州より  杉山佳奈重さん 21歳
 
ニュージーランド・オークランドより  古館ダイスケさん
 
茂木怜美奈さん
 
 
森  博史さん(2003年5月14日~8月11日アメリカ・ハワイ)
 


WWOOF体験記  ハワイ島・パンガイア農場での風変わりなウーフ体験

 
森  博史さん(2003年5月14日~8月11日アメリカ・ハワイ)
 


自分のこれからの人生を考えてみようと思い、大学3年前期を休学。ハワイに行ってみることにしました。渡米の第一目標は、タダで農場暮らしができるWWOOF体験をすること。しかしながらまずはアメリカに慣れるために、オアフ島にあるホノルル・コミュニティ・カレッジの英語コミュニケーションのクラスへ入学しました。全22回、1日2時間のコースで、料金は288ドル。ここは、これからハワイの大学への進学を目指す人から、近辺で働いている人まで、さまざまな立場の人たちが、英語を学んでいます。

滞在は、YMCAに1週間。次の週からはコミカレ近くのスチューデントハウスに。学校では韓国、中国、台湾、ベトナム、タイなどの出身の人たちと出会い、スチューデントハウスではアメリカ人やヨーロッパ人の若い観光客とも友だちになり、充実した生活を送ることができました。
スチューデントハウスは1カ月滞在しても日本円にして3万円弱。食事は付いていないので、コミカレの食堂でとりました。ロコモコというご飯の上に肉と目玉焼きが載っかっている日系人の創作料理が口に合いました。

7月に入ってからはハワイのWWOOFに登録している農家に片端からメールを出して、滞在希望を申し込みました。けれど、今は受け入れていないという返信ばかり。ようやくハワイ島のパンガイア農場から受入OKの返信が来ました。
パンガイア農場には、農場主のマニース&ヨーコ・マーチン夫妻、住み込みのジョーンとエラのカップル、マニースの弟、そしてぼくと同じ年くらいのアメリカ人のウーファーがひとりいました。
アボガド、パパイヤ、マンゴーは成り放題。牛、やぎ、鶏を飼っていました。ぼくは、乳しぼり、雑草抜き、アボガド採りなどをしました。大体午前中3時間、午後2時間くらい働けばよいので、労働はキツくはありませんでした。

同じハワイとはいってもワイキキとは雰囲気がまったく違い、ファームの生活は原始生活に近いものでした。たぶん、マーチン夫妻の主義なのでしょう。農場はソーラーシステムを備えているのですが電灯がありません。森の中にある小さな蚊帳のようなテントで横になると、鳥の声だけが闇に響き、全身で自然を感じながら眠りにつくのでした。
マーチン夫妻をはじめ農場のみんなは健康マニア。海へ行けば、素っ裸で泳ぎます。それはいいのですが、困ったのは生肉、生野菜ばかり食べること。これには閉口しました。

おそらくぼくのWWOOF体験はかなり変わったものだろうと思います。「電気のない生活も、生肉ももうイイヤ」というのが正直な感想です。2週間のWWOOFを終えて、ワイキキの懐かしいスチューデントハウスに戻った時はほっとしました。それから帰国までの10日間が、3カ月のハワイ経験の中でもっとも楽しい思い出ですが、今になって、せっかく行ったのだから、もっと英語研修に比重を置けばよかったと思っています。
 
 
 
 
体験談3:日中学生会議で中国を訪問(2002年8月16日~8月30日)
 
茂木怜美奈さん
 


この夏私は日中学生会議で中国を初めて訪問した。日中学生会議とは今から15年前ある一人の学生によって学生間の民間交流の大切さが考案され発足したものだ。隔年に日本と中国で会議を開催し討論会、学生が企画したシンポジウムを通じて学生間の相互理解を図ることを目的とする。といってもそんなに堅いものではない。顧問には天児  慧教授がいらっしゃるも運営、企画全て学生主体で行う会議は学生のアイデアに任される。よって両国の文化を紹介する文化交流会、地方都市訪問など学生がフランクに交流できる企画が盛り込まれているのだ。私がこの会議への参加を決めたのも真剣に意見討論の準備をしつつも学生ならでは交流企画に全力を注いでいるからだ。ちなみに今会議の文化交流で踊ったヨサコイ踊りは夜練をする気の入れようだった。もちろん討論会の準備にはそれ以上の力を注いでいることを忘れないでいただきたい。
そうした一年間の準備を経ていざ中国へ。


清華大学の学生と討論
まず私達は今回の会議の開催地である北京の清華大学へと向かう。バスがはいれるくらい大きなキャンパスをもつ清華大学。この中国一大きな自慢のキャンパスはアメリカ政府からの賠償金によりアメリカ留学の予備校として創設されたものだ。何でもアメリカ留学を目的としアメリカの最高教育を受けていつかはアメリカを超える中国を創るとか。全員がそう思っているわけではないのだろう。そして私達は大学内にあるホテルに宿泊する。同じキャンパス内にある学生寮とは比べものにならないくらいとてもきれいだ。
次の日から早速清華大学の学生と討論会だ。私の所属する分科会は若者の仕事観。両国が雇用状況、若者の就職観を紹介しあった。日本と異なり若者は仕事を通じて国家にいかに貢献できるかを考えている点が興味深い。しかし分科会で最も印象的だったことはMr.休憩こと張さんの存在。初日、勢いよく自分の名前を黒板で紹介していた彼。さぞかし張り切り者で多くの意見を聞けると期待していたのだが、、なんと分科会中は一言も発せずやっと口を開いたと思ったら出てきたセリフが「よし、休憩しよう」以後彼のあだ名は「Mr.休憩」。
5日間の北京での会議を終え私達は次の開催地である上海の復旦大学へと向かう。北京での日程はなんといってもきつく慌しかった。1時間半かけバスで王府井へいき10分で買い物。そして次のシンポジウムに備えるという強行スケジュール。その慌しさが中国らしくもあったのだが上海ではもう少しゆとりのあるスケジュールであることを期待したい。


上海の復旦大学へ
まず上海の第一印象。空気が北京よりも綺麗であること。北京では空が黒ずんでいるようだったが上海の空は東京に限りなく近い。そんな気候のせいか上海の人はとてもオープンだ。シンポジウムの企画にも素直に賛同しまた文化交流会でものりよくパフォーマンスをしてくれる。そんな底抜けに明るい上海人と打ち解けるのにはそう時間はかからなかった。
今でも復旦大学の学生とはメールのやりとりが続いている。


中国人って?

一言で中国人を言い表すのは容易ではない。だが一つおもしろいエピソードがある。シンポジウム企画をする際のこと。メールで再三シンポジウムの趣旨を説明してあったはずなのに前日になってシンポジウムの内容を変えたいとのこと。それだけいうのならと思いきって中国側にまかせたのだがまだパネリストも決まっていない始末。形式として中国側もシンポジウムを企画したかったようだ。さすが面子の国、中国。
また中国ではトップが存在しその人が一切の権限をもっていた。手下らしき学生をひきつれて何人かの人に命令をしている姿が印象的だった。
もうひとつ上海でクラブにいったときのことをお話したい。中国人って?というタイトルとはかけ離れていると思う方もいるかもしれないがそんなことはない。なぜなら日本人は決して踊らないようなダンスをしていたからだ。それは今クラブで流行っている八の字ダンス。首を8の字に振って異性に求愛するときに使うらしい。まさかそんな恥ずかしいことをやる人はいないだろうっと思いきや隣で激しく頭をふる女性、まさに8の字を描いている。その女性のダンスに吸い付けられるように男性達が集まってきた。


日中学生会議で得たこと
同じアジア圏といっても日本とはどこか違う中国。色彩感覚の異なるビルの装飾、まるで怒鳴っているかのような会話(全員が全員そうであるわけではない)、二車線のところを三車線で走る車、異なるトイレ事情に初めは新鮮味を感じるも次第に嫌気がさすようになってきた。しかし帰国するとそんな中国が懐かしくなっている。一年前から準備をしてきたからこそ良さも悪さもひっくるめて中国を認めることができたのかもしれない。何よりも討論会、文化交流会を通して中国人の素顔に触れることができたことが私と中国の距離を縮めている大きな要因である。

 
体験談2:小学校でのボランティアで充実のワーキングホリデー
 
ニュージーランド・オークランドより  古館ダイスケさん
 


私はワーホリの間ずっと海外の小学校でボランティアをしています。
このボランティアは学校の教師や日本語教師になりたい人には必ず貴重な体験になります。また英語を上達させたいにとっても同じことが言えます。私の場合は英語の上達が目的で小学校でボランティアをしているわけではありませんが、結果的に小学校というのは最高の英語の学校であることに気づきました。周りにネイティブの小さな先生が400人くらいいるのですから、英語は嫌でも身につきます。
そこで私の体験談を少し紹介させてもらいたいと思います。

私がこのボランティアをすることに決めたのは、将来教師になった時に子どもたちに教えてあげられることが少しでも身に付けばと思ったのがきっかけでした。知り合いにNZに行ったことのある人がいたので、その人を通してホームステイ先を見つけ、ボランティアをする学校は現地に行ってから自分で見つけることに決めました。

NZの最大都市オークランドに到着したのは2001年10月25日。空港の到着ゲートをくぐると、迎えにきてくれていたホームステイ先の親戚のおばさんが待っていてくれました。
最初の頃は英語が聞こえないのと日本人がまわりにいない生活に慣れられず大変でした。私の場合、語学学校に行かなかったので日本人と会う機会がなく、日本語ゼロの生活。あの頃はこれがつらかったのですが、その環境は英語を身につけるという意味では最適のものだったと今だから思えます。


そして早速、目的の小学校探し。やっと見つけた小学校は全校生徒400人ほどで、NZではどちらかと言えば大きい方。やっとこの学校に通えるようになったのはNZに到着してから2、3週間ほどしてからでした。ボランティアとして通える小学校が見つかったから良かったものの、見つからなかったらどうしてたんだろう。。と、今考えると恐くなります。あの頃はただ必死でした。


NZに来た目的の小学校でのボランティア。最初はどきどきしながらの登校でした。
この学校では各クラスを二日おきくらいの間隔で回っていく毎日。この時期はまだ低学年の子の言っていることが良く聞きとれず、低学年の子どもたちへの対応が出来なかったこと、そして高学年の先生たちと仲が良くなっていたこともあり、高学年のクラスを手伝うことが多かったです。
手伝っていた内容は、日本のことに関する質問大会をやったり、折り紙を教えたり、日本のゲームを教えたり。この時期はまだあまり算数や英語といった多くの時間を占める科目の指導中は眺めていただけだったり、子どもと一緒に活動したり。クラスに生徒が一人増えただけという感じでした。
休み時間中は職員室で軽くコーヒーを飲むと、すぐ外に出て子どもたちと遊んでいました。NZの遊びを子どもたちから学んだのも、日本の遊びを教えたのもこの時間でした。

12月の末、こっちでは卒業の季節。私もこの学校にいられるのが12月末まででした。クリスマスカードや手紙などを子どもたちからもらい、また私が教えたとなりのトトロのねこバスの絵のついたバッジをくれた子もいました。それらは今でも大切に持っています。こうして初めての学校を後にしました。
私はその後もその学校の地域に住み続けていたため、町の中で子どもたちに会うことも多く、今でもE-mailでやりとりをしている子もいます。英語もたくさんその学校の子どもたちから教えてもらいました。

たくさん思い出の詰まった初めての学校を後にして、長い夏休みが終わった2月、二つ目の小学校に向かいました。この学校では学校中のクラスを見て回った後、2年生のクラスのひとつをずっと手伝い続けようときめました。このクラスの担任の先生は、当時自分には絶対出来ないと思っていたようなことも「出来るからやってみなさい」とやらせてくれる人。最初は大変だったのですがその先生のおかげで新しいことがいろいろできるようになりました。英語や算数の指導、絵本の読み聞かせetc.。。絵本を読むのは今も下手なのですが。。今任されている内容は学校の授業の中でも大きな時間を占め、とても重要な内容なので、大きなやりがいを感じています。
同じ子どもたちと8ヶ月間ほどつきあい続けているので、今はその子どもたちがかわいくて仕方がないですし、それがこの学校でずっと働いている理由の一つでもあります。先生や、保護者ともつながりが強くなりました。放課後はいろいろと話をしたり、子どもと話しても身に付かない英語もここで身に付きました。
また私の誕生日には、突然全校集会で子どもたちと先生たちみんなで歌を歌ってくれプレゼントをくれたということがありました。ボランティアですが職員の一人として認めてくれるこの学校はとても好きで、今現在も働き続けています。


このボランティアについてもっと詳しく知りたい方は私のホームページをご覧下さい。
http://users.hoops.ne.jp/doraradaisuke/index.html


 
体験談1:ベトナムでのボランティア活動に向けて、アメリカのNPOで準備中
 
アメリカ・ミシガン州より 杉山佳奈重さん  21歳
 


わたしは養護教諭を目指す学生です。教職につく前に、他の先生たちには無い何かを身につけたいと思い、大学を一年間休学してアメリカのNPO「IICD」の国際ボランティア・プログラムに申し込みました。この4月から、ミシガン州のIICD事務所でオフィス・ボランティアをしています。これは日本の人たちにIICDの存在を紹介したり、IICDの日本語版ホームページを作るための翻訳をしたりという、プロモーションの仕事です。7月からはIICDのベトナム・プログラムに参加する予定ですが、オフィスで約3ヶ月間Volunteerとして働くことで、ベトナム・プログラムのボランティア奨学金が受けられました。というわけで、さっそくIICDについて紹介させていただきます。

IICDはアメリカを拠点に、発展途上国に向けたボランティア活動を展開するNPOです。ザンビア、グアテマラ、ベトナム、インドで、植林、現地の人たちへの衛生指導、エイズ予防、子どもたちの教育などを支援しています。わたしが参加を予定しているベトナム・プログラムは、アメリカで2カ月間の研修を受けたのち、ベトナムで3カ月間のボランティア活動を実践、その後再びアメリカへ戻ってフォローアップ・プログラムに参加するというものです。

研修期間中は、現地の社会、文化、歴史、言語、課題などについて学びます。また、参加者自身が主体的に活動計画をたて、必要な資金集めもみんなで行ないます。民家を巡って募金を頼んだり、企業スポンサーを募ったり、イベントを行なって寄付を集めたりとさまざまな工夫をしますが、効果的なアウトリーチやプレゼンテーションの力をつけるために、資金集め自体も重要な研修要素です。資金が集まらない場合は、プロジェクト自体がボツになったり、現地滞在期間が短くなることもありえます。

プログラムの参加費用は、ベトナム・プログラムの場合、6カ月で2,500ドルかかりますが、寮と食事、ベトナムへの渡航費など、すべて参加費の中に含まれています。期間中、IICDに対してこれ以外にお金を払うということはありません。身近にたくさんのパソコンが用意されていて、日本にも自由にアクセスできるので、不自由を感じず生活しています。英語に関する参加条件は特にありません。語学留学したいけどそんなにお金が用意できないという人でも、ここではすべてが英語なので勉強になるのではないでしょうか。簡単に自分の意思が伝えられるくらいの語学力があらかじめあれば、もちろんずいぶん違うと思います。

今は忙しく毎日を過ごしながら、ベトナムでのボランティア活動に参加する9月を楽しみに頑張っています。ボランティアをしながら世界を自分の目で見ることができるのは、とてもいい経験になるでしょう。わたしのように奨学金が適用されることもあるので、少しでもこのプログラムに興味をもっていただけたらと思ってお便りしました。

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国際力.comでは、海外での体験についての投稿を募集しています。書くことで理解は深まっていくものです。また、発表することで同じ志をもつ人を見つけたり、ほかの人の役に立ったりと、さまざまなきっかけにもなります。
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◆受付:info@kokusairyoku.com


留学体験本:片寄有智子さんから留学本のご紹介
 


片寄さんより自著のご案内が届きました。
2002年10月に留学体験本を出版することになりました。

 

留学ぶっつけ本番!~6人の女性のその後~
文芸社(1000円税別)